吉田松陰とは誰か。

吉田松陰とは誰か。
それは、読者によって、時代によって変わる。
吉田松陰はそのように受け止められてきたし、また利用されてきたとも言える。
懐が広いとも言えるし、つかみ所の無い思想家である。


教育家、勤皇家、テロ首謀者、学者、革命家。。。
さまざまな形で松蔭は語られる。
右翼にも左翼にも人気のあるゆえんである。


では、私にとって松蔭とは誰か。
彼は、私にとって激烈なるパッションを秘めた、そしてその情熱の激しさゆえに燃え尽きた「一人の青年」である。


父親からの激烈なる教育に耐える幼年期の彼。
彼が激しい研鑽に耐えられたのは、「皇国の興廃」は自分にかかっているとの周囲からの期待と自負であったろう。
そして刑死に至るまで、まさに死に急ぐようにかけぬけた青年期(彼は数え年30で刑死している)。
特筆すべきは下田での米国渡航計画と、やはり安政の大獄でのテロ計画の自供という二つの事柄であろう。
前者は、下田までやってきた米国船に乗り込もうと、弟子と二人で船を盗んでわたるのだが、計画とすらいえないほどのお粗末さで、途中船に残してきた刀や着物によって身元が割れてしまい、弟子とともに捕縛されてしまう。
後者は、幕府によって別件で逮捕されたにもかかわらず、まだ公にされていなかったテロ計画を浪々と自供したことによって斬首に処せられるという始末。


これが、革命家の仕事なのであったとしたら、これほどお粗末な革命家はいるまい。
これが、偉大な教育者の仕事なのであったとしたら、これほど手に負えない教育者はいるまい(テロを首謀する教育者!)。
しかし、私は、彼の行動のその「どうしようもなさ」「みっともなさ」、まさに「やむにやまれぬ」衝動のほとばしりとしての行動ゆえに、彼がいとおしくなるのだ。


彼の魅力。
それはその行動の結果ではない。
ほとんど全ての事業・仕事において、彼の生涯は失敗であったといえるだろう。
にもかかわらず、死に至るまで「何か」に衝かれたかのように突っ走った、彼の生き様のまぶしさというもの。
底を知らぬようなオプティミズム
そして、彼の生涯に漂う哀愁とある種のおかしみ。
これらが、私にとっての松蔭の魅力である。


私にとって、吉田松陰は遠い存在である。
それは、彼のようには生きる事が出来ないということを私は知っているからである。
そして同時に、吉田松陰は近い存在である。
それは、一つも物事が上手くいったためしがないのにやたら元気な「ヘンな奴」だからである。


愛国者」でも「革命家」でもない、しかし一つの理想を生き切り死んだ、fanaticで愚かな男の生涯は、どこか私をゆさぶる。
そろそろ松蔭が死んだ齢を追い越す。
彼を思うたびに、己のふがいなさと、彼のまなざしを思うのである。

講孟余話 ほか (中公クラシックス)

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新装版 世に棲む日日 (1) (文春文庫)

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