「見たくないものを見ない」ということ。
日本が『美しい国』なのか、『単一民族国家』なのか、よくわからないけれども、今回の日本のニュースを読んでひどく虚しくなったというか。
きっと、かの大臣は
- 作者: 小熊英二
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 1995/07/01
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amazonでも「こんな本を読んでるあなたにはコレがおすすめ!」なんて、同じ系統のものをご丁寧に紹介してくれるし。
きっと同じ傾向は、政治家だけじゃなくて僕たちの中にもある。
「現実」というものが僕たちの欲望や理念などから切り離して存在できないことは、確かだ。
だから、ある意味で、まったく完全に客観的な「現実」というのは、存在しない。
存在しないけれども、それは決して、僕らの欲望の都合のいいように「現実」をこねくり回すことが出来る、というわけでもない。
例をあげれば、具体的な出来事の集積としての過去と、それらの解釈としての歴史の関係。
歴史がつねに「問題」となるのはこの点にかかっている。
僕たちが思う以上に、考えている以上に、「現実」は多様であるということ。
その多様さを、雑音として処理するのか、豊穣さとしてとらえるのか。様々だ。
きっと、僕も含めて、一貫した何かが無いと、みんな不安なんだと思う。
自分の世界観、人生観、価値観、それらを支えてくれるものを、補足してくれるものを、僕らはどこからか集めてきて、補強する。
そしてそれらをみんながめいめい、「現実」だと言っている。リアルだと言う。「真実」だと叫ぶ。
けれども、僕はそういった「不安」が生み出すものを真実だとは思わない。
真実というものは、誰かに支えてもらわなくちゃ倒れてしまうような弱いものだとは、僕は思わない。