成長するってこと。


大学で勉強しています。
といっても、もう授業を取っていないので、自主勉強がほとんどです。
友達は授業が終わると、僕が勉強してるあたりにやってきて、勉強したり一緒に話をしたりしています。
僕も時々参加です。
英語で。
面白いことに、日本人は日本人同士であっても英語で話そうとしているんですが、韓国人や中国人は母国語で話をしている事が多いです。
留学目的の違いからくるのでしょうかね。


その友達のほとんどは僕より年下です。
大学二年生〜三年生だから、20〜23といったとこでしょうか。
なんだか、「若いなー」とどうしても感じてしまいます。
別に、見下しているわけでは全然無くて。
「僕もあんなだったなぁ」と。


留学生にありがちな悩みなのかもしれませんが、「自分の英語に自信が無い」「何でここに留学しに来たのか分かんなくなった」とか。
前者は今も共有できる悩みですが、後者に関しては、彼らと僕とは随分違う所に立っていると思います。
っていうか、僕もそうだったんですよね。大学生の時。


毎日は楽しい、とりあえず。
でも、卒業してからどうなるんだろうって思うと、凄く不安。
何でこの大学にいるんだろう。
何でこの学部で勉強してるんだろう。
まさに、モラトリアムの時期。


デッドラインは決まってる。
あせりはある。
でも何をしていいかわかんない。
時々、物凄くイライラしたり、ドヨーンとしたり。
僕はしょっちゅう萩の海まで車を走らせたなぁ。
あるいは、部屋で一日中エレファントカシマシばっかり聴いてたり。
ココロは、泣いているのか怒っているのかのどちらかだったような。


僕がそんな青年期にありがちな情緒不安からほんとうに解放されたのは、一体いつだったろうかと考えてみました。
それは、就職の内定が決まり、そして修士論文の初稿を提出した時。
本当に「あー、何かが終わった」と思いました。
と同時に、「これからだ」とも思いました。
これから本当に生きていくんだ。
やっと始まる。
そう思いましたよ。


きっと、多くの人が同じような不安を生きているんじゃないかと思います。
無為の中の味気なさ。
自由ということの取り留めの無さに、あの時の僕は半ばあせり、半ばもがいていました。
けれど、あの明るすぎる自由な日々に、時に鬱屈しながら過ぎていった時間は、間違いなく今の僕の一部になっています。


ただ、今の僕はそういう時間が持つ力、すなわち人を力強く変えていく力、もっと積極的に言えば自分の成長を信じて「待つ」ことの大切さを、どう言葉にして伝えたらいいか、ちょっと分からないでいます。
そういう意味で言うと、僕もまだまだ成長が必要なんでしょうね。

いまこの国で大人になるということ

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