序章

忙しいのと、保存の意味を込めて、過去に他のブログでアップしたものをちょっと訂正してアップ。


「なんか俺らのことも書け」と友達からメールが来たので、書こうと思う。


僕は埼玉県で生まれ育った。
実家はいまでも埼玉にある。
しかしながら、僕は山口県の大学に進んだ。
理由は簡単で、しかし複雑だ。


僕は高校生の時、三年生の十一月まで部活をしていた。
陸上部で中長距離をやっていて、そのころまで駅伝のための練習に明け暮れていた。
結局、三年のときは本番には出られなかったのだけれど。


容易に想像がつくが、受験生としての準備はまったく整っていなかった。
センター試験まで残り二ヶ月。
僕は無い頭で考えた。


「一ヶ月一科目で、どうだ。」


限りなくゼロに近い可能性を少しでも増やすための工夫だった。
受験情報誌をくまなくチェックした。
私立大学であれば、二科目で受験可能な大学は腐るほどあった。
しかし、僕は一人暮らしがしたかった。
「関東」というエリアを飛び出したかったのだ。
環境を変えたかった。
つまり自分を変えたかったのだ。
そうなると、国公立大学で二科目で受験できる大学を探すしかない。
私立大学で一人暮らしするほど、余裕のある家庭とは思ってはいなかったから。


あった。
山口県立大学」。
聞いたことの無い名前。
国立大学(当時)である山口大学とは違う、県立の大学だった。
「これしかねぇ。」
必死に、ひたすら勉強した。


センター試験の結果は振るわなかった。
しかし二次試験の「小論文」にわずかな可能性をかけて、山口までの新幹線に乗った。
初めて訪れる山口の街は、観光案内とはずいぶん違って、良く言ってひなびた、平たく言って貧相な県庁所在地だった。
合格の可能性は限りなくゼロに近かった。
両親は「一浪までならいいよ」と言っていたので、半ば観光気分であった。


当時(今もだが)、明治維新のヒーローにあこがれていた。
特に、吉田松陰を半ば崇拝していた。
数え年三十にして武蔵野の刑場に散った、愚かなほど純粋でエキセントリックな松蔭に自分自身を重ねようとしていたほどだ。
当然、萩に足を運んだ。試験前日に。
萩もまた、決してにぎわっている街ではなかった。
確か、時折雨の降る曇天であったように思う。
それでも、僕はこの街が好きになった。
「松蔭が吸った空気を俺も吸っているのだろうか、あの山を彼も見たろうか」と思っていた。


試験は落ちた。
が、「今度もあの大学を受けよう」と決めていた。
俺の十代最後の春はこうしてはじまった。


つづく。

山口県立大学/下関市立大学 (2006年版 大学入試シリーズ)

山口県立大学/下関市立大学 (2006年版 大学入試シリーズ)