第一章

序章からのつづき。


受験勉強は上手くいった。
前年とは違い、センター試験の結果は間違いなく合格できる点数を示していた。


入学式は確か、四月九日だったように思う。
僕は四月三日前後に山口へ向かった。
引越し荷物の搬入を終え、しばらく近所を散歩した。
近所にスーパーなどがあることを不動産屋から聞いていたので実際に行ってみたりして、「あぁどこでも同じだなぁ」と当たり前の事実に少し驚いていた。
「これからここで暮らす」ということに、そこはかとない喜びを実感していた。
近所のCDショップでスピッツの『フェイクファー』を買ったのは、確か二三日後だったように思う。


山口県立大学は、山口女子大学が改組してできた大学だ。
そのためか、男女の比率が2:8くらいで、圧倒的に女性が多い。


僕の通っていた高校は男子校だった。
あげく、吉田松陰に熱を上げているような、完全に「時代錯誤」の”愛国”青年だったこともあって、家族を除いた女性と会話したことは、三年間で合計十五分たらずだった。
そういうわけで、圧倒的に女性が多い環境に、どう対処していいかまったく分からなかった。


幸いなことに、マイノリティたる男性は、マイノリティであるがゆえに結束も早かった。
同学科同学年の者は合計80名だったが、男性は10名強。
愛すべき彼らは、自分を含めて、非常に個性的だった。
今となっては、彼らの誰一人欠けても山口での素晴らしい日々はありえなかったと思えるし、そして今の自分自身の存在がこのようではなかったと言える。


「もし現役でここに受かってたら大変だったよねぇー」という言葉が時折話題にあがった。
本当にそうだ。
それは、絶妙なニックネームをつけるUやO達の格好の”餌食”になっただろう、という意味も当然あったけれども、それだけではなかった。
「僕らのこの関係は、偶然であれなんであれ、かけがえの無いものだ」という思いを、僕らはどこかで感じていたのだろう。


誰にとっても、過去は美しく、そして恥の多い日々だ。
友達からの一通のメールに触発されて書き出したこの記事だが、今の俺にこの過去を振り返る作業は、必要とは言えないまでも有益のようだ。
これから、もう少し書き続けてみたい。


つづく。

フェイクファー

フェイクファー