岩島忠彦 インカルチュレーションとは何か−その過去と現在

岩島忠彦(2004)「インカルチュレーションとは何か――その過去と現在」佐久間勤編 『ネイティブ・インカルチュレーションの時代――福音とグローバル世界の出会いの神学――』サンパウロ
下記はこのレジュメ。


はじめに−「インカルチュレーション」へのアンティパシィー
用語の含意についての違和感
 1、キリスト教文化圏から非キリスト教文化圏への「押し付け」
 2、「文化」という言葉の浅薄さ e.g. 文化人


一、インカルチュレーションとは何か−「カトリック性」の必然
インカルチュレーションは常にプロセス(J・スィンゲドー師、南山大学
 第一段階:異文化との出会い
 第二段階:文化から信仰を識別し、改めて信仰を自らの文脈に位置づけ直す
定義(J・スィンゲドー):
広義:文化接触ののち、どちらかの文化が優勢になっていく過程
狭義:「キリストのメッセージと(諸)文化との接触に伴い、相互作用がもたらす福音の需要と文化の変容」


a、その原点において
ローマ帝国全体のなかで、イスラエルは特殊な文化の一つ
 ⇒キリスト教は、その出発点から、特殊な世界におけるインカルチュレーションとして始まった
「土着」の側面:ユダヤ教文化圏の内部から生まれたキリスト教。理解の文脈の完全な一致。
⇒「どこで福音が告げられるにせよ、この原点に迫る程度の、その場の人々の生活に根差したものとして福音が告げられなければ、福音が本物にならない」(岩島)
「変容」の側面:ユダヤ教をバックグラウンドにしつつも、それを内発的に破壊することによって生まれたキリスト教
 ⇒インカルチュレーションには「文化の変容」が伴う
 c.f. 適応−同化−変容(インカルチュレーションの三段階)


b、その展開において
ヘレニズム・ヨーロッパ化
巨大なインカルチュレーションのプロセス
パウロローマ帝国の国教化→中央ヨーロッパの宗教へ→ヨーロッパ・キリスト教文化圏
ユダヤ教文化圏からヘレニズム文化圏へ
神学のバックグラウンド、概念装置(ストア派哲学、アリストテレス哲学)


近世:「大航海時代
インカルチュレーションの努力はほとんど見られなかった
 ⇒ヨーロッパからの文化輸出・支配


カトリシズムはシンクレティズムか:論争的な箇所
「普遍性の同義語としてのカトリック性は、それ自身が現れた、折衷主義の過程を通してのみ可能で、しかも達成される。」(レオナルド・ボフ〔解放の神学者〕『教会、カリスマと権力』エンデルレ書店)


二、現代のインカルチュレーション
a、教皇ヨハネ・パウロ二世の呼びかけ
アジア:文化との対話、土着化への努力
「日本社会の状況に応じて必要とされる信仰のインカルチュレーション(文化内開花)は、あらかじめ用意された計画または理論による結果ではあり得ず、神の民全体が、実際に住んでいる社会との救いについての対話を続けることで得た、生きた経験から生み出されるべきものです。」(『アド・リミナにおける日本の教会へのメッセージ』2001年)
ヨーロッパ:「新福音化」
 ⇒どこにおいてもインカルチュレーションが必要


b、グローバリズムローカリズム
精神主義的なヨーロッパ・キリスト教からの脱却
 ⇒「体の復活」のとらえなおし:世界と個々人の諸関係の「復活」、万物の完成
「今の経済や政治や文化など、すべてがグローバル・スタンダードで動いている中で、私たちの信仰もそのような意識でとらえ直されなければなりません。・・・本当に現代のインカルチュレーションも、そこまで今の世界の現代性に根差すことがない限り本物にならないだろうということです。」(岩島)


ローカル・チャーチの課題
具体的な文脈に根ざした独自の教会・信仰理解の必要性


c、日本におけるインカルチュレーション
キリスト教が土着化することは、その本質から必要不可欠の事柄
 ⇒実践において文化・社会と対話を続けることの重要性
 「日本人の心の奥に深く根づいている精神性にまでさかのぼり、その傾向を掘り起こしていき、そうしたものとキリスト教信仰との関連を求めていかなければならないのでしょう。」(岩島)
 ⇒社会学民俗学による貢献可能性


『妖怪の棲む教会』(中川明著、夢窓庵)
日本人の「村意識」「島意識」:異質(「異人」「妖怪」)なものを排除しようとする心性=多様性フォビア(宮台真司
 「村意識」を脅かす「妖怪」と接する場面、異質なものと触れ合う場面において、私たちの信仰、すなわち福音の核心である愛の精神が試されているのではないか。
「境界の上に教会を立てよう」:マージナルなものが関わりあう場としての教会
安易な「日本人論」的批判ではなく、自身がそうした心性をもっているところから始めて、反省的に状況をとらえ、その状況においてキリストの愛をどう実践するか


現代日本のインカルチュレーションなどと言っても、一般論にしてしまえば、大した結論は出ない」(岩島)
「自主的信仰理解」(岩島)
 ⇒単に与えられた教えとしてキリスト教をうけとめるのではなく、自分が生きるさまざまなコンテキストのなかで自分の信仰をどのように表現するのか。また、そのように生かされていることが何を意味しているのかを、納得できるような生き方をすること。


むすび−大切なのは「福音と文化」
インカルチュレーションの根本的精神
「恵みと救いは神からのもの、しかしそれが成就するのはこの地に住む私たちのうちにおいてです。」(岩島、c.f. イザヤ45:8)

ネイティブ・インカルチュレーションの時代

ネイティブ・インカルチュレーションの時代