衝動、この人間的なるもの。

少年犯罪が起こるたびに、メディアには「心の闇」という表現が飛び交います。
動機の理解しがたい事件を説明ないし了解可能にするためのマジックワード、「心の闇」。


多分に、心は「闇」のなかにあると思います。
しかし、この表現が自分自身の心について向けられることはまれです。
「自分のことは自分がよくわかる」というのが、一般的な常識なのだと思います。


僕自身のことを言えば、十代後半は、はっきりいって、心は「闇」のなかにありました。
自分でもよくわからない、ぐらぐらと煮えるような心。
破壊衝動とでもいうのか、「すべて」をブチ壊してしまいたい、そんな衝動を抱えていたように思います。
それは今から振り返れば、自分自身のおかれた環境への不適応などが背景となっているように思えます。
けれど、その時には自分自身を客観視する余裕はありませんでした。
自意識の過剰と、客観的根拠を欠いた疎外感。


もしかすると、僕は「運良く」自分の環境を破壊しないですんだのかもしれない。
コントロールを欠いた衝動が、「たまたま」行動にうつされなくて済んだのかもしれない。


「彼」と、あの時の僕はどう違うのか、正直に言ってあまり良くわからないでいます。