absurdity, light and darkness.

世界は、不条理ないし不合理という性質を持っている。
一方で、社会は条理のなかにある。あるいは、そのように人はみずからの生きる社会を了解する。
世界と社会のギャップが露出するとき、人は世界の社会に対する圧倒的な優位性を知る。
つまりは、自らが了解する社会の姿のもろさと、それをいともたやすく否定してしかしなおもそこにある世界の圧倒性、そして己の卑小さ・弱さを知る。


秩序は、「そこにある」のではない。
全てが最適化されて自動的に成立するのではない。
それは混沌の只中に創られ、維持される。


混沌の深さ・闇の深さを知ることなしには、つまりは世界の本質としての不条理を知ることなしには、秩序をもたらすもの、秩序そのものについての意味・意義を知ることは無い。
その時、信仰は能天気な保守主義に堕する。
秩序を知るのでなければ、私たちは混沌を認識するすべを失い、闇にのまれて終わる。
その時、知的冒険主義は概してニヒリズムに終始する。


「光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。」ヨハネ福音書1:5
「深遠を覗き込むとき、深遠もまた君を覗き込む。」ニーチェ