断想

Humanitarianism, Love.

博愛は、愛であるのか。 そもそも、愛は排他的なものだ。 万物を愛するということは、何も愛していないに等しい。 理論的には万物を愛することが想定可能だとしても、人間のcapabilityとしてそれは不可能である。 特定の対象を想定しない愛はむなしく空疎で…

「である」こと、「する」こと。行為者の実存の問題。メモ。

幸福を説く者が幸福であるとは限らない。 しかしながら、他者を幸福にしうる者は、本質的には、当人が幸福でなければその務めを果たしえない。 幸福でない者が、職務として、幸福を語らねばならないことほどの苦痛はない。 希望を説く者が希望にあふれている…

ポストモダン、再帰性の時代。

ポストモダンとは、簡潔に言えば、大きな物語が終わった時代。 言い換えれば、自己の実存を、AやBやCの主義や思想や生き方に依存する事を、許容させてくれない時代。 そのような時代に、信仰者であるとは、いったいどういうことなのか。 それはつまり、みず…

言葉の無力さの前でひれ伏すこと。

「言葉が見つからない」という経験を、私たちは否応無く経験する。 それは悲しみの場面でもあり、また喜びの現場でもありうる。 そういった場面で沸き起こる感情を、言葉をあつかう者は大切にすべきだろう。 (自らの)言葉の無力さに立ちすくむこと。 そし…

absurdity, light and darkness.

世界は、不条理ないし不合理という性質を持っている。 一方で、社会は条理のなかにある。あるいは、そのように人はみずからの生きる社会を了解する。 世界と社会のギャップが露出するとき、人は世界の社会に対する圧倒的な優位性を知る。 つまりは、自らが了…

少子化と自殺。現代社会論メモ。

現代の日本において、少子化と自殺は、ひとつの大きな潮流の顕著な表れ方であるように思う。 端的に言って、日本において、単純に<生きること>を喜ばしいこととして受け止められなくなってきているのではないか。

自明性の解体。「幸福論」へのメモ。

大学、大学院と「生きがい」を中心テーマに学んできた。 つまり、幸福に生きるというきわめて抽象的で、かつ青臭い問いを、社会科学の手法によって出来るだけ論理的に考えてみたかったのだ。 結局、自分で納得できるような研究には辿りつけていない。

声と文字。言葉。

口伝というスタイルの豊かさと限界。 書かれたものの確かさと限界。 声は想像を喚起し、文字は定式化へ向かう。 声は浮遊し、文字は着地する。 声は振動、文字は記号。 oralとliteral。ソシュールと言語学 (講談社現代新書)作者: 町田健出版社/メーカー: 講…

情熱と判断力。

「政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫(ぬ)いていく作業である。」 マックス・ヴェーバー『職業としての政治』 情熱と判断力。 全ての真剣な事業に不可欠な要素たち。職業としての政治 (岩波文庫)作…

弱さ。

言葉の通じないということは、気持ちが伝えられないこと。 そう思って、そう感じてきた。 けれども、それは半分正しいのだけれど、もう半分は間違いだということを、出来るだけ見ないふりをしてきたような気がする。 言いよどむ。つっかえる。間違える。しど…

on journey.

信仰とは、旅である。 疑いの只中で、なお信じつつ生きる、人のあゆみである。 そしてその旅路が、けっして一人旅ではないことを知っている旅人こそ、キリスト者である。 「信仰とは、望んでいる事がらを確信し、まだ見ていない事実を確認することである。」…

disciplineの確立と、射程について。自分へのメモ。

学問がひとつのdisciplineとして確立されていく過程と、その学問の射程の広さとは反比例する。 そのdisciplineの独自のlogicにのっとって、各用語の定義がなされ、他学問との境界は規定される。 同時に、包括性・綜合性は縮小していく。 【参考図書】清水幾…

神義論。悪の存在について。自分へのメモ。

昨日今日と、学校で「悪の存在」についての講義があった。 「なぜ、世界に悪が存在するのか」 という、ひたすらに重い問い。 この授業を受けていて、以前「神学すること」へのスタンスの違いについて書いたが、それへのヒントのようなことを感じた。

自我という不思議

自我というもの。 「わたし」という感覚を持つものとして生きていることの不思議と、祝福。 エゴイズムにも、信仰者にも人の生き方を拓いていく、奇跡のような感覚の根。中型聖書 - 新共同訳NI53作者: 共同訳聖書実行委員会,日本聖書協会出版社/メーカー: 日…