言葉の無力さの前でひれ伏すこと。

「言葉が見つからない」という経験を、私たちは否応無く経験する。
それは悲しみの場面でもあり、また喜びの現場でもありうる。
そういった場面で沸き起こる感情を、言葉をあつかう者は大切にすべきだろう。
(自らの)言葉の無力さに立ちすくむこと。
そしてそれでもなお「それ」を捉えようとする意思、あるいは同時に、それでも何かを伝えたいと願う衝動のようなもの。
この緊張関係を欠いた言葉は、いのちを持たない。