ポストモダン、再帰性の時代。

ポストモダンとは、簡潔に言えば、大きな物語が終わった時代。
言い換えれば、自己の実存を、AやBやCの主義や思想や生き方に依存する事を、許容させてくれない時代。
そのような時代に、信仰者であるとは、いったいどういうことなのか。
それはつまり、みずからの信仰、生きるすべについて、再帰的(reflexive)になる(ならざるをえない)ということだろう。
再帰性を強いる社会としてのポストモダンは、必ずしも信仰の死を意味しない。
しかし確実にいえることは、「ある種の信仰」は死に絶えるということだ。
あるいは、そういった「ある種の信仰」が自己保存の闘争を始めるということだ。


「幸福な時代」は終わった。
しかしそれは、ある意味で、ひとつの幻想が終わったに過ぎない。
夢から覚めたとき、僕らはそれが甘美な悪夢であったことに気づくこともある。