愛国の作法。

我が家の一番下の女の子が"O Canada"(カナダ国歌)を楽しげに歌ってるのを聞いて、なんだか不思議な気持ちになったchohsukeです。
日本では建国記念の日が近いですね。


ネットでしか日本の状況がわからないのですが、blogなどを見ていると随分とサヨク叩きのコンテンツが多いなぁと感じます。
これをもって「右傾化」なのかどうか、判断しかねるところですけども。
まー、なんというかですね、何となく気持ちのわかるところもあるわけでして。


僕が高校生三年の頃(十年前か)、小林よしのりさんの『ゴーマニズム宣言 戦争論』が出たんですね、たしか。
例に違わず、買って読みましたよ、ええ。
えらく「感動」しました。
「日本人としての誇りを取り戻せ!!」的なことも感じましたし。
愛国も悪くないじゃないかと。
むしろ良いじゃないかと。


それから十年。
遅れてきた愛国青年(むしろ吉田松陰フェチ)は社会学を学んだおかげで、右や左以外に世の中にはもっとたくさんの「見方」があると知り、無事卒業。
さらにはキリスト者として腰をすえた再出発をしたわけで。
思へば遠くへ来たもんだ@中原中也


十年一昔というけれども、僕が「愛国者」をきどってた時と今とを比べると何が一番違うだろうかと考えた。
これは極私的な感想にすぎないけれど、僕が一番「いやだなぁ」と感じるのは、どちらかというとpatriotismだったはずの「愛国」が、なんだかchauvinismというか「排外」に傾いてきてるような感覚を持つ。
嫌韓流』以来のことなんだろうか。


また、僕が「愛国者」をやってた時の議論とまったくレベルが変わらないということも気にかかる。
つまり、サヨク叩きに終始するということ。
敵を作ってまとまるというのは、政治的・戦略的には正しいのかもしれないけれど、大局的に見たときにどうなんだろうか。
「まだやってんの」「そんなことばっかりやってていいの」と思うこと、なきにしもあらず。


結局、みんな不安なのかなと思う。
美しい国』に自己同一化できれば、一瞬元気になった気になるもんね。
でもやっぱり、自分の足元を見ないといかんのではないかと思うよ。
「身の程を知る」というかね。
背伸びでもなく、卑屈にでもなく、尊大にでもなく。
困難な時代を生き抜くのに必要なのは、勇ましさよりもしなやかさだと思うのだけれど。

愛国の作法 (朝日新書)

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愛国者は信用できるか (講談社現代新書)

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右翼と左翼 (幻冬舎新書)

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〈民主〉と〈愛国〉―戦後日本のナショナリズムと公共性

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