The Latter Prophets.

来週から、旧約の預言者についての講義が始まります。
イザヤ書が中心になるとのことです。
今、下記の本を読んでいます。

An Introduction to the Old Testament Prophetic Books

An Introduction to the Old Testament Prophetic Books

The Prophecy of Isaiah: An Introduction & Commentary

The Prophecy of Isaiah: An Introduction & Commentary

預言者の箇所を読んでいるからかどうかわかりませんが、最近思うことがあります。
誤解を生むかもしれないけれど、「『献身者』という言葉は危ないなぁ」と。
なんか、酔わせますよね。人を。
「大層な使命を預かってる人」みたいな自己意識を持たせるというか。
もちろん、「預けられているもの」の価値はとんでもないものなのだけれど。
それがもたらす使命感というか、意識というか、それは時に危ういものになりうるなぁと。
僕はエレミヤ書が好きなんですけども、何でかというと、彼が神に引き回されてるところに強く共感するからなんですね。
ただ、エレミヤ書全体に漂っている悲壮感のようなものは、危険な甘さがあるなと感じます。
特に僕みたいな性格の者には。


もちろん、ある種の「覚悟」を強いられる状況に置かれることがあるのは承知しているけれど、だからっていっつもしかめっ面でいる必要も無いし、しかもそういう「覚悟」は、おそらく、多くのほかの懸命な仕事にも共通することのようにも思うし。


要は、フラットでいたいってことなんですよね。
変に人生をドラマティックに仕立て上げる必要なんかないんだってこと。
平凡な毎日を平凡に暮らす中に、きちんと自分の大切にしている「縦の軸」が表れるという生活のかたち。
危機の時代は、その「縦の軸」があらわになってくるのだろうけど、その基礎は必ずかわり映えのしない日々のうちに造られるのだと思った、今日この頃。