ポストモダン、科学としての神学?

神学の書物を読むことの多い日々が続いています。
多くの神学書のintroの箇所で、現代における神学の立ち位地みたいなことを、どの著者も簡単に述べてるんですが、決まって、「現代社会はポストモダンで・・・」みたいなことを書いてるんですね。


まぁ、そういう時代認識であるということにはおおむね賛成ですけどねー。
なんというか、「とりあえず『ポストモダン』って言っとけ」みたいな感じもしなくもないと。
「新しい時代に即応した神学ですよー」的な雰囲気をかもし出すためには、ポストモダンに言及することが不可欠、みたいな感じもしなくもないと。


あ、あとね、何か新しい言葉作ればいいってもんじゃないっていうかね。
言ってる内容はちっとも新しくないのに、表書きを新しくすることでなんか「新しいこと考え付きました!」みたいな感じって、すごーくヤな感じですね。
まぁね、わかるよ。
ちょっとは新鮮さが無いと本書いたって売れないしさ。
あと、何でもかんでも「なんとかドリヴンなんとか」っていうタイトルにするのとか、止めませんかね、出版社の皆さん。
節操が無い感じがして、印象悪いっす。


「神学はscienceなのだ!」って教科書でも書いてあるけど、僕はどうしてもそう思えないんですよね。
さっきの、「新しい言葉作った者勝ち」みたいな状況は、科学だったらありえないことですよね。
ま、定義の問題になっちゃうからこの種の議論にはあまり意味が無いのだけれど、僕にとっての科学の必要最低限の用件は、公理内部での理論の無矛盾性と、実験によるその検証可能性という二つをみたしているかどうかなので、それからすると神学はまったく科学的ではないんですよね。
神学で実験なんて聞いたこと無いし。
でもそれは、全くもって神学の価値を貶めてるわけではないんですけどもね。
むしろ、「神学はscienceである!」って声高に主張すればするほど無理が出てくるっていうか、逆になんで科学であろうとする必要があるのかなーと思うわけで。
からしたら、そういう主張じたいが、社会的に制約されているような気がしてならないんですけどね。