Canadian anthem.
今日の教会の礼拝で、ちょっとびっくりすることがありました。
のっけに、カナダ国歌を歌ったんです。
ひとつの歌を歌うことがなんでそんなにびっくりすることなのか、ということですけども、日本のキリスト者にとって、国歌そして国旗はとてもsensitiveなイシューであり続けています。
アジア・太平洋戦争(大東亜戦争)時代、日本のキリスト者は、積極的ではなかったにせよ、当時の日本政府に協力しました。
この点だけであれば、ありうる話です。
しかしそれ以上に、「君が代」を礼拝の中で歌うことを強いられていました。
「君が代」とは端的に天皇を賛美する歌ですが、あるいはあの戦争の時代はそのように理解されていた歌ですが、それがキリストの神を礼拝する式の中に盛り込まれているということは、それ自体ただならないことです。
そうした「ただならないこと」の中に置かれていたのが、当時の日本人キリスト者でした。
そうした状況に「屈した」ことへの強烈な反省と悔い改めから、戦後日本のキリスト教は始まりました。
つまり、国家・政府とのするどい緊張関係を意識することを、日本のキリスト者は戦後の歴史として覚えてきたわけです。
ここが、「諸外国のキリスト者と違って、日本のキリスト教は左翼思想と親和性が高い」と(誤解をふくんだ)理解をされる要点です(そのほかの「政治的」なファクターも存在する)。
僕の理解としては、基本的に、旧約の時代を含めて、信仰者は自らの生きる時代と緊張関係を保つように示されていると思います。
そのことは、国家・政府との関係をも含んでいます。
ですから、今日の礼拝で、その一番最初に(!)カナダ国歌を皆で歌っていたことは、僕にはとても奇妙に見えたわけです。
しかし、明らかにそこでは僕はマイノリティでした。
そこで歌われたカナダ国歌と、一人ひとりの信仰とのあいだには、「幸福な」関係があるように見えました。
そうした「幸福な」関係をもたない日本にあって、参照とすべき準拠点はどこにあるのかと考えています。
国家を超えられなかった教会―15年戦争下の日本プロテスタント教会
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