Jacob: a grabber, a deceiver and a man of faith

今、神学校の宿題で、ヤコブという聖書の中に出てくる人のことについて調べて書いています。
個性的な人でねぇ、この人。
兄貴がいるんですけど、それと親父をだまして偉くなっちゃったり。
ばれると逃げてって、ほとぼりが冷めるまで帰ってこない。
「もういいかなー」と帰ってくるときに、兄貴が迎えにやってくるんだけど、めちゃめちゃびびってて。
「すんませーん」って平身低頭して。


「なんでこんな奴が神に選ばれるんだ」っていう典型のような人。
さらーっと聖書読んだだけだと、兄貴がかわいそうに思えてくるくらい。
でも、そういう、まぁ嫌な奴なんだけども、その彼が生涯の最後になって言った一言に、今考えさせられてます。


このヤコブの息子にヨセフってのがいて、そのヨセフの二人の子ども(ヤコブの孫)を祝福する場面。
長子相続が当然の時代で、ヨセフもあたりまえのように上の子どもの方にいっぱい祝福をお願いするわけだな、ヤコブパパに。
だけども、ヤコブは弟の方により豊かな祝福を与える。
ヨセフは、「父ちゃん、それ違うよ!こっち!」って言うんだけど、ヤコブはそれを拒否して言うんだな。
『わかっている。子よ、わたしにはわかっている。』"I know. My son, I know."(創世記 48章 19節)って。


ヤコブには何が分かってたんだろう。
当時既に盲目になっていた彼には、何が見えていたのだろう。
ヤコブ(=しがみつく者)は、彼の人生の最後に何を手に入れたのだろう。
狡猾にチャンスを狙い、それでいて絶えず何かにおびえていたような若き日のヤコブ
そんな彼が年老いて、何かを知った(I know)。
そのことを考えるとき、ヤコブの生き様は一人の懸命な信仰の姿として僕らの前にあらわれてくる。